プロジェクトメンバー日誌

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2023.2.27
副看護部長のつぶやき ~最終話~
メンバー日誌

みなさんこんにちは。副看護部長室です。

もうすぐ3月ですね。年度末を迎えあわただしい時期がやってきますが、

今年は寒さも厳しく、春が待ち遠しい気もします。

 

さて、私は3月で退職を迎えます。

このブログも最後となります。

なので、私のこれまでの看護師人生を振り返ってみました。

38年前私は県職員として県立中央病院に配属になりました。

中央病院では整形外科病棟でした。はじめての準夜勤務では交通事故で骨折した患者さんが運ばれてきて病棟での直達牽引の介助にハラハラ、ドキドキ。

そんな私にも先生はイライラすることなく教えてくれました。

蔵王の樹氷に突っ込み脊髄損傷で入院になった県外在住の若い男性にも関わりました。つらかったです。

でも、病棟は若い看護師も多く、「独身会」なんていう会を立ち上げ飲み会に行ったり、先生に美味しいものをごちそうになったりもしました。充実した独身生活でした。

 

鶴岡病院に異動となり、初めての精神科勤務、不安ばかりでした。当時の5病棟に配属になり、はじめて病棟の扉を開けた時の臭いと保護室の患者さんの光景は今でもはっきりと覚えています。精神科患者にどう関わったらいいのかわからず、若い男性患者を怒らせたこともあります。躁状態の患者さんが夜中に看護室の窓に飛び込んできたこともありました。保護室の天井を突き破られたこともあります。そんな私に先輩たちははとても丁寧に教えてくれました。また、准看護師の方たちは、精神科経験が長いので学ぶことも多くありました。今の私があるのも当時の先輩たちのおかげだと思っています。

このころの鶴岡病院は各季節ごとのイベントがありました。花見、孟宗汁、金峰登山、海水浴、運動会、文化祭などなど患者さんとの親睦も深められました。行事がなくなったのは寂しい気もします。

 

15年鶴岡病院で働き、日本海病院への異動でした。循環器・呼吸器病棟でとにかく忙しい病棟でした。

朝、鳥海山を見ながらの通勤でしたが、ちっとも美しい山とは思えませんでした。「この道、今日は何時に帰ることができるんだろう」と思いながら運転していた記憶があります。

モニターやら呼吸器やらのアラーム音が仕事が終わっても耳から離れないときもありました。

ある日の準夜勤務、心臓カテーテル検査をした高齢の患者が夜間ベッドから転落、当番医師をコールして診察したところ大腿骨頚部骨折。医師からはベッド柵を投げつけられる始末。今だったらパワハラで訴えています。いつか笑うことも少なくなり、たまに笑うことがあると小学生の娘は「お母さんが笑ったの久しぶりに見た」と。今思えば病気寸前だったのかもしれないです。

3年間の勤務を終え鶴岡病院に戻り、これでもう異動はないだろうと思っていました。

 

2011年3月東日本大震災。3人の子供たちは多賀城・郡山・千葉に居住。震災直後みんなの無事は確認したのですが、一番心配した多賀城の息子とはそれ以来連絡が取れず・・

数日してやっと息子から連絡がきました。友達数人で車で生活していると。ガソリンも底をつき、夫が息子を迎えに行き、雪の中、やっと我が家に帰ってきました。一安心と思ったのもつかの間、翌日出勤すると、なんと自分が新庄病院へ異動。

「なんで???」

「私何か悪いことした?」頭の中は真っ白!大学生を二人抱えた私は辞めるわけにはいかず、夫は「這ってでも行ってくれ」と。私たち親子5人はそれぞれの場所で生活することになりました。

新庄病院でも循環器・呼吸器病棟。ここもまた忙しい病棟で、定時で帰れることはまずありません。私は呼吸器チーム。50歳間近の私は覚えることに必死!

毎日、くたくたになりながらアパートに帰る日々が続きました。

そんな中、なんだか聞いたことある先生の名前があるぞ、と思ったら、日本海病院にいたころ研修医で勤務していた先生。約10年ぶりの再会で、お互い年を重ねたことにちょっと苦笑い。

2年間お世話になりました。最上の人たちはみんな家庭的で、覚えの悪い私にも優しくしてくれました。感謝しています。

 

またまた鶴岡病院に戻り、みんな新病院開院の準備でバタバタ。ちょっと浦島太郎状態だったけど、何とかついてきました。

外来師長になった私はある日、先生に「ここの責任者は誰だ!」と処置室で怒られる場面も・・・

それを見ていた患者さんが病院の意見箱に「若い医師が明らかに自分より年上の看護師に怒鳴っていた」と投書。ちょっと助けられました。

 

本当にいろんなことがありました。「おかれた場所で咲きなさい」の言葉を胸に配属された部署で一生懸命に働いてきました。つらい時もあったけど、それ以上に楽しいこともありました。だから続けてこれたと思います。

そして来月、無事に退職の日を迎えられそうです。38年、多くの人と出会い、多くのことを学び、多くの宝物を獲得しました。最高の看護師人生でした。

お世話になったみなさん本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

私のつたないつぶやきに最後までお付き合いいただきありがとうございました。

これからの皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

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