プロジェクトメンバー日誌

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2025.5.15
鈍器のようなもの
メンバー日誌

医療情報DX担当です。


 

突然ですが皆さん、「鈍器のようなもの」って聞いて何を想像しますか?
物騒なニュースで出てくるような単語ですが、私は最近「生成AIは鈍器のようなもの」という話を聞いて目からウロコが5枚くらい落ちました。

たしか生成AIが流行りだしたのは2022年の年末あたり、このブログでもあんな記事こんな記事を書いてました。この2年半に思ったことをつらつらと書いてみます。
(長文ご容赦ください)

 

 

 

 


鈍器と筋肉と生成AI──マッチョじゃないとAIは使いこなせない世界へ

 

「AIは鈍器のようなものだ」

この比喩、最近ときどき耳にするようになった。最初は冗談めいた響きだと思っていたけれど、ふとした瞬間に「あ、確かに」と膝を打ってしまった。
鈍器とは何か? 鋭くはないが、質量と破壊力がある道具。ハンマー、金棒、鉄パイプ。狙いが甘くてもとにかく力任せに振り回せば、それなりに効果はある。もちろん道具に善悪はなく、人間の使い方がすべてという話。

AIも、今やそんな存在に近い。とにかくデカくて重い。めちゃくちゃ賢いように見えるが、実際は「方向性を間違えると大惨事」な道具なのだ。

 

 

AIは強力。でも誰が振るうかがもっと大事

 

問題は、誰がこの鈍器を振るうのか? だ。
筋力ゼロのヒョロガリが鉄パイプを持っても、たかが知れている。でも、日々鍛え上げたマッチョが同じ鈍器を振るえば、それはもう必殺武器に化ける。
同じように、生成AIも、誰がどう使うかで成果がまったく違ってくる。
「指示を出すだけでAIがサマリーを作ってくれる!」というのは事実だが、それはあくまで“打ち出の小槌”ではなく“パワー系バールのようなもの”なのだ。
要するに、人間の知識・スキル・経験という“筋肉”がなければ、AIという鈍器はただの重り
ここに、多くの人が陥る幻想がある。
「AIが代わりにやってくれる」ではなく、 「AIを使いこなすだけの筋力が、人間に求められる時代が来た」ということなのだ。

 

 

「AIが雑務を、人間が付加価値を」──本当にそう?

 

よく言われる話がある。
「AIに雑務を任せて、人間は患者ケアなどの本来業務に集中できる」
うん、理想論としては素晴らしい。だが、現場の空気はどうかというと、
・スタッフが記録や報告作業に追われ、AIがSOAPの要約や診療録の下書きをこなす
──という逆転現象が起きつつある。
AIはすでに、そこそこの診療メモを作り、会議の記録を要約し、患者説明文書のドラフトを生成する。つまり「医療職が価値を出していた領域」まで、しれっと侵食してきているのだ。
一方で人間は?
「AIの出力を確認して、間違いがないかチェックし、電子カルテに貼り付ける」など、むしろ雑用の延長線上にいることも多い。
まるで、筋肉モリモリのAIがバリバリ診療文書を作っている横で、人間が入力補助をしているような構図だ。
これでは、若手医師や新人看護師が“成長する機会”すら奪われてしまう。

 

 

記録業務は筋トレだったという話

 

思い返せば、かつての記録作成──たとえば回診メモやカンファレンス記録──は、若手職員が医療現場の論理や構造を学ぶ貴重な訓練の場だった。
• 診療方針の議論を聞き取る力
• どこが要点かを判断する力
• チーム内の情報伝達を意識する構造化力
• プランと経過の関係性を捉える編集力
どれも、AIにはまだ完全に真似できない“臨床文脈の理解”が求められるスキルだった。
でも、その筋トレの場が「AI自動化」によって消滅してしまうと、人はどこで鍛えればいいのだろうか?
AIによって記録が効率化されることは、筋肉を鍛えるチャンスが減ることでもある。

 

 

AI導入にはコストがかかる──だからこそAIが主役になる

 

さらに忘れてはいけないのが、「生成AIを導入するコスト」だ。
• 有料のクラウドAPIや医療向けLLM
• 個人情報保護のためのセキュリティ対策
• 職員向け教育とマニュアル整備
• HIS・電子カルテとの連携開発費
• ガイドラインに準拠した運用フロー
これらは、ちょっとした改善策では済まないレベルの投資が必要だ。
となると、病院経営層としては当然こう思うわけだ。
「せっかく導入したんだから、AIにはもっと高度な業務をやらせないと採算が合わない」
そう、「人間よりもAIに記録・要約・説明補助などを任せた方が“安くて速くてミスも少ない”」という構図が出来上がる。
結果、人間は“補佐役”や“AIの監視係”のポジションに落ち着く。
理想とは真逆の、「AIが主治医、医師がオペレーター」という未来だって十分あり得る。

 

 

それでも人間が価値を持つには──筋肉しかない

 

では、どうすれば人間は価値を持ち続けられるのか?
答えはシンプルだ。
筋肉をつけるしかない。
もちろんここで言う筋肉は、物理的な話ではない。
• 診療情報の構造を理解する力
• 「この症状から何を考えるべきか」という問いを立てる力
• 患者背景と治療選択肢を見極める力
• AIのアウトプットを評価・編集・臨床応用する力
そういった「人間ならではの臨床判断・抽象的思考・共感力」こそが、 AIという鈍器を最大限に活かす“筋力”なのだ。

 

 

教育機会をどう設計するか?

 

最大の課題はここにある。
「じゃあ、その筋肉ってどこでどう鍛えればいいの?」
AIが記録業務を代行する以上、“自然に鍛えられる場”は失われつつある。だからこそ、意図的な設計が必要だ。
• AIが作った診療メモを人が添削する“カルテ道場”
• 症例ごとの鑑別診断を人力で考える“仮説構築演習”
• 「なぜこの説明書きになったのか」を逆解析するAIレビュー会
• チームでAIに質問を投げる“問い力トレーニング”
こういった、「AIを活用する前提での教育設計」が必要になる。
かつての“先輩の背中を見て学ぶ”では、もう追いつかない。

 

 

AIという鈍器を振るえるのは、マッチョだけだ

 

要するに、AIがどれだけ進化しようと、人間が筋肉を失えば、主導権を握ることはできない。
「マッチョな医療職が鈍器を振り回す」世界は強い。 「AIに頼りきりで受け身な医療職」では心許ない。
だからこそ、これからの医療教育も働き方も、「いかに筋肉をつけるか」を軸に据えるべきだ。
生成AI時代において、最も強いのは、
AIを正しく設計し、制御し、活かしきる“筋肉マッチョ”な医療者である。
さあ、今日もトレーニング開始だ。

 

 

正しく「問いを立てる」ことが究極の筋トレ

 

ちょっと前までのインターネット時代には「ググればわかる」、今のAI時代では「聞けばわかる」。そんな風に思いがちだ。
でも、実際には「何を調べるか」「どう聞くか」が最大のハードルだ。
「正しく問いを立てる」ことこそが、最も知的で、最も難易度の高い行為である。
AIに適切な指示を与えなければ、いくら強力でも間違った答えを平気で返してくる。
つまり、筋トレの極意とはこういうことだ。
何を問うべきかを考え抜き、AIに的確な問いをぶつけられるか?
AI時代の筋肉とは、問いの精度である。鍛えよう、問い力(といりょく)。

 


 

 

皆さんはどんな風に思いますか?

ネタバレすると、そもそもこの記事もChatGPTに書かせています。プロンプトでネタと方向性を与えて、3,000字くらいで適当によろしくねってEnterキーをターン!です。細かいところで論理の揺らぎはありますが、そこそこ筋が通った文章を30秒で書いてきちゃうあたりは生成AIの進化を感じます。

 

さあさあ近未来のAI世界に問いてみませんか? 皆でマッチョになりましょう。

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